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「ハラカド」?part3.

こんにちは。

引き続き「ハラカド」?へのコメントを紹介します。今回が最終回となります。

 

 

「ハラカド」に対する平田晃久さんのコメントでミケランジェロのカンピドリオ広場のことが
念頭にあったと仰っていますが、なるほどなと感じました。

平田さんの頭の中には建物そのものだけではなく、建物が立つ土地や周りの景色、道路や交差点をも全て含めてひとつの空間として捉えて「ハラカド」を設計していたのですね。

だからこそ参道の緑と調和するような外観とグリーンを活かしたデザインにたどり着いたのかもしれません。

屋上庭園にも広い階段があるところなど、どこかカンピドリオ広場を思わせます。

建築には商業施設や居住空間といった用途だけの面ではなく、街などの空間自体に溶け込むパブリックスペースという要素も不可欠なのだと平田晃久さんに気付かせていただいた気がしました。

🙂 K.T.


 

平田晃久さんがその建物を取り巻く環境や歴史についての考察を以下に紹介します。

 

豊かなケヤキ並木で知られる表参道の先には、神宮の杜=百年の歳月を経て「自然」に還らされた人工の森がある。

聞くところによれば、表参道は冬至の日の出にあわせた軸線にあり、明治通りは谷筋の地形に沿っている。いわば天体的自然と大地的視点の交差点である。

そこを行き交う人びとや車、変化し続ける街の営みも、ある意味で呼吸する自然だ。
ここは自然と人工の関係を現代的にみずみずしく捉え直す恰好の場所なのである。

私たちは、水の流れを思わせるような透明で流動的な表情を持ったファサード、この場所の新しい自然を感じさせる立体的な庭園、そしてそれらが総合的に生みだす、かつてなく拡張された世界的な交差点の風景によって、この新しい時代の自然と人工を巡る問いに応答した。


建築を設計することは、さまざまな境界を考えることでもある。
しかし境界をつくることそのものが建築なのではない。
むしろ、
さまざまな境界を乗り越えて、

いまではないいつか、
ここではないどこか、
わたしではないだれかが、

流れ込んでくることこそが、建築の本質ではないだろうか。

(平田晃久 新建築6月号より抜粋)

 


 

今年の初めの頃、建築雑誌で出会った平田晃久さんの言葉に、太田市美術館・図書館を知ってから思い続けていた平田晃久さんの理念、おそらく哲学、いや生きかたがはっきりと見えてきました。

いろいろなこと(境界や空間、外と内などなど)を分けたくない思いが平田晃久さんの建築という作品から伝わってきていました。

この“分けたくない思い“こそが今世界中にある分断や差別、戦争などからの救いであるように私は思えてきます。
そして、自分自身に自由な精神を持ち続けることの大切さをあらためて教えてくれているようです。

そんな思想にもとづく平田晃久さんの建築が少しづつ(あるいは急速に)人々の心を捉え始めています。

 

 

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