空っぽのグラス諸君
仕事の心棒に触れることだ。たとえどんな仕事であれ、その仕事が存在する理由がある。資本主義というが、金を儲けることがすべてのものは、仕事なんかじゃない。仕事の心棒は、自分以外の誰かのためにあると、私は思う。その心棒に触れ、熱を感じることが大切だ。仕事の汗は、その情熱が出させる。心棒に、肝心に触れるには、いつもベストをつくして、自分が空っぽになってむかうことだ。
(“サントリー新社会人向けのメッセージ広告2000年4月“より抜粋 伊集院静)
毎年4月1日朝刊に載る“サントリー新社会人向け広告“のメッセージを楽しみにしていました。
時には、朝礼の際に皆さんに伝えたりしていました。
しかし昨年11月に作者の伊集院静さんが亡くなられ、今年は「今年はもう会えないなぁ。」と思っていたのですが・・
昨日の朝刊に、
「2000年の第1回の原稿を改めて掲載し、伊集院静さんからのメッセージ広告の最終回とすることに致しました。」
と、当時のメッセージ広告が朝日新聞や日本経済新聞に掲載されました。
今朝の朝日新聞天声人語には、
「伊集院静さんが新社会人の手本になる人生だったか、といえばそうではあるまい。ギャンブルの金を出版社から前借りし、おまけに編集者に届けさせたといった逸話には事欠かない。無頼と愚直が同居している。それが伊集院さんの魅力だった。言葉がまっすぐでありながら印影深いのも、苦みある生き方ゆえであろう。人生には、効率とは無縁なところから得られる何かがある。」と書かれていました。