次郎とリボン、さようなら。またいつか虹の橋で会おうね。
4月になったばかりの春。
次郎とリボンが死んでしまった。
同じ年の次郎とリボンは大の仲良し。
8年を生きて来て、亡くなったのはたったの5日違い。
こんなことがあるのだろうか?
リボンがやって来たのは8年前。
当時の我が家にはモモ(ゴールデン・レトリーバ)とライス(雑種)そしてノアくん(イングリッシュ・コッカー・スパニエル)の3匹がいたのでリボンは4匹目でした。
リボンは同じ犬種のモモをお母さん代わりにしてスクスクと育っていきます。
レットリーバは猟の獲物を回収する犬。
ボールをくわえて来るのは本能です。
ボールが大好き。
生まれて半年もすると、身体も大きくなります。
美人さんになって来ました。
モモがいつもお母さん代わりです。
リボンを迎えて初めてのお正月。
我が家の道を挟んだ駐車場に最近、貧相な犬が居ることに気づいていました。
最初は何処かで飼われているのだろうと思っていたが・・。
24節気の大寒の頃。
冷たい北風が強く夜でした。
夕飯をとりながら、話題は駐車場にいる犬のことになりました。
家内の話では、近所のおばさんがその犬を嫌がって保健所に連絡すると言っていたと云う。
寒いし・・保健所!?
気になり、懐中電灯を照らしながら駐車場へ。
隅っこにある物置の陰で、その犬は丸くなって震えていました。
「わんこー」と呼ぶと、頭を上げてこちらを向きます。
「寒いでしょ、うちに来る?」
すると、立ち上がって「うん、行く」と(笑)
怪我をしているのか?右の後ろ足を引きずりながらついて来ます。
我が家の門を開けて、「入る?」と訊ねる。
「うん」(笑)
ガレージに古い毛布を敷くと、その上へ。
ドッグフードを差し出すと、お腹が空いていたのか、もの凄い勢いで食べる。
少し落ち着いたので、様子を見ると、びっこを引く脚には傷の跡。
そして、小さな首輪がはち切れそうに首を締め上げていたので首輪を外しました。
翌朝、名前は『次郎』として、交番に「飼育受託書」を届け、飼い主を探しながら次郎は我が家の犬4匹と暮らし始めました(その後、無事に家族になりました)
右の後脚に傷がありました。
次郎がやって来た翌朝、モモはすぐに新入りの次郎に寄り添います。/p>
次郎も安心したのか、この通り。
我が家にすっかり馴染んだ次郎、1か月もすると少年のようになって来ました。
ベージュ色の3匹です。
やがて、お母さん役だったモモが亡くなります。
それからは、次郎とリボンはいつも一緒でした。
ノアくんと次郎。
ノアくんも昨年1月に亡くなりました。
ノアくんは個性あふれる、なんとも可愛いワンコでした。
犬の時間は人間の5倍以上のスピードで駆け抜けていきます。
毎日を楽しそうに過ごす次郎とリボンも例外ではありません。
7才の誕生日を間近に控えた昨年3月初旬の早朝。
突然、次郎に”てんかん”の発作が起こりました。
発作自体はすぐに収まったのですが、かかりつけの獣医さんに相談すると、「年齢を考えると脳腫瘍かも知れない」と言われましたが、検査のハードルの高さや治療の困難さを考えるとこのまま様子を見ようということになりました。
次郎の発作は3月に12回、7月3回、8月4回、9月3回とありましたが、それ以外ではいたって元気に日々の散歩や生活を楽しんでいました。
そして10月。
今度はリボンに異変が起こりました。
急に様子がおかしくなりお医者さんへ駆けつけると緊急手術。
脾臓に出来た腫瘍が破裂した為に脾臓を摘出しました。
リボンはすぐに回復したものの腫瘍を病理検査にまわした結果は悪性。
「残念だけど、リボンの余命は3か月くらい」と先生に言われてしまいました。
抗がん剤などの治療の道もありますが、今までの経験から自然に任せることにします。
幸いなことに余命3か月を宣告されたリボンは何事もなく、年が明けた1月16日元気に8才のお誕生日を迎えることが出来ました。
なおも、次郎の発作は10月1回、11月3回、12月2回、1月4回とありましたが、それほどひどくはなく、いたって元気に私との散歩や日々の暮らしを楽しんでいます。
もちろん、リボンもいつも一緒です。
余命3か月と言っても人間の時間にすると1年半くらいでしょうか?
ならば、その倍の6か月を生きることは人間の時間で言えば3年になります。
それだけに何気ない一日一日を大切にして生きて行こうと犬たちと約束しました。
ですから、昨年の10月からこの冬はとても充実した時間になりました。
コロナ禍ゆえに、遠くへ旅をする訳ではありませんが、近場の公園や河川敷はもちろんのこと、毎日早めに会社から帰り、夕方の散歩は次郎とタップリと40分〜50分位楽しむことを続けていました。
体調を考えるとリボンの散歩は短めですが、それでも彼女は満足していました。
リボンの容態に変化(極度の貧血)が起こったのは3月23日でした。昨年の余命宣告の日から5か月余りたっていました。 いよいよその時が来たかと覚悟しました。
しかし、翌日には持ち直し元気になります。リボンの自然治癒力のチカラを知ります。
この頃からの不安は次郎でした。
次郎の最後の発作は1月でした。
(発作のほとんどが早朝でしたので)その日から私は次郎と一緒に寝ていました。それ以来発作はなかったのですが、もしも先にリボンが居なくなってしまったら次郎は大丈夫だろうか?
次郎はいつもリボンと一緒でお姉さんのように慕っていました。ですから、そんな心配が日増しに大きくなっていました。
リボンは29日も容態が急変しました。しかし、この日も乗り越えてくれました。
4月1日は次郎のお誕生日(保護犬なので暫定的ですが)
次郎8才のお誕生日をリボンも祝いました。
しかし、翌々日の4月3日の夕方、リボンの容態が悪くなり寝たきりになります。
この日、次郎は私との夕方の散歩を楽しみました。その後、珍しく自分でフリスビーをくわえて来たので庭でフリスビーで遊びました(次郎はフリスビーが得意です)
その後、不調のリボンの顔を覗き込み、心配そうに顔をしばらく舐めていました。
そして、一緒に寝たりしていました。
リボンの呼吸が荒くなっていたので私も覚悟を決めて寝ました。
夜中に何回か目を覚まし、リボンの様子をみます。
リボンはなんとか持ち直したようです。
そして、4月4日の明け方でした。
突然のバタバタする音に目覚めると次郎の発作です。
いつもより長い発作が起こり、少しおさまると外へ飛び出して家の周りを走り出しました。
次郎は幻覚を見ているのでしょうか?様子が今までとは違います。
30分以上走り回って突然に倒れ込みました。
ひどい痙攣が続いているので処方されていた痙攣止めの座薬を使用したのですが・・
気がつくと次郎は呼吸を止めていました。
発作から1時間半くらいの時間が経過していましたがまさに悪夢を見ているようでした。
次はリボンと覚悟は出来ていましたが、なんで次郎?
言葉では言い表せない無念の思いがありました。
居間で亡くなった次郎と2晩過ごし、4月6日にサリー、初代リボン、モモ、ノアくんの眠る畑の一角に埋葬しました。
その翌々日の夜、リボンが4度目の不調になりました。それでも自分で庭に出て排泄をしました。
そして、しばらくデッキの上で涼んでいました。やがて寝室に入りいつもの場所で眠り始めました。
貧血でだるそうでしたが穏やかな様子です。
夜中の2時過ぎくらいでしょうか、リボンの呼吸が荒くなっていました。
それから6時間程、呼吸は大きく辛そうでしたが、どこか痛がるわけでもなく、リボンは逝きました。
余命3か月の宣告から人間の時間でいえば3年近く生きたのではないでしょうか?
しかも、先に甘えん坊の次郎を見送って・・
苦しむことなく・・
偉いなぁ。
立派な大往生でした。
翌日、リボンは次郎の隣に並んで埋葬しました。
共に8年生きて来て、大の仲良しで、亡くなったのはたったの5日違い。
リボンも次郎もいつか”虹の橋”の向こうで会うことを約束して。